毛利醸造の歴史

伝統を守りながら、新しい時代に通用する製品を生み出し続ける。~毛利醸造の歴史~


新しい時代に生き方を模索して

~毛利醸造の始まり~


武士の時代が終わったことを、全国に知らしめた廃藩置県。中国地方のほぼ全域を納めた毛利家に仕えた武士たちも、それぞれの生き方を模索し始めました。 その中の一人が、明治2年に毛利醸造を創業した毛利弥助氏です。「毛利」の姓は、主君から譲りうけました。当初は奥出雲(広島県と島根県の境にある町)でたたらを営み、刀剣を鍛えるための良質な鉄を生産。しかしトラブルにあって廃業せざるを得なくなり、医師の道を経て、庄原市高野町で酒造業を始めました。


値千貫にも換え難し

~美しい水と気候を生かした醸造~


微生物の力を借りる酒の醸造には、清らかな水と澄んだ空気が欠かせません。温度管理にも細心の注意が必要で、冷やすことができない時代には、寒い気候であることも必須。高野町はその条件すべてを満たす土地でした。

醸造に用いたのは、「千貫水(せんかんすい)」と名付けられた湧水です。1334年(建武元年)に城を築いた領主が、水が出なかったことから龍王をまつったところ、湧き出たという逸話が残っています。8代目の宍戸隆家は、この水を「値千貫にも換え難し」と形容したのだとか。これが、千貫水命名の由来です。



 ピンチをチャンスに~千貫酢誕生秘話~


酒造業をはじめて数年たったころ、3年続けて作った酒が傷むという問題が発生しました。経営の危機です。せっかく手間ひまをかけて作った酒を捨てることは、できません。そこで、いっそのこと酢に加工しようというアイデアが生まれました。

商品名は、湧水にちなんだ「千貫酢」。「千貫純米酢」として今に続く、毛利醸造看板商品の誕生した瞬間です。

酒粕から作る醸造酢はどこででも手に入りますが、酒から造る酢は品質がまったく違います。柔らかな口あたりと豊かな旨みの千貫酢は評判となり、毛利醸造は経営の危機を脱して本格的に酢の製造に乗り出しました。




ソースのとろみは、豊かな日本復興の象徴だ

~カープソースと前身・櫻矢ソース~


ウスターソース「櫻矢(さくらや)」の製造に乗り出したきっかけは、冬場の閑散期に仕事量を確保するためです。酢は夏野菜に多く使われるため、冬季の作業量確保が課題でした。ソースであれば冬季に作業できますし、製造に酢をたくさん使うのでもってこいです。名称は当時流行していたサクラに、毛利家の「三本の矢」の教えを組み合わせて生まれました。

とろみのついたお好み焼用ソースの製造が始まったのは、昭和30年ごろ。戦後の日本には食料が乏しく、「一銭洋食」と呼ばれたお好み焼きの前身は、小麦粉と刻んだネギからできたシンプルなものでした。そこにモヤシが入り、刻んだキャベツが入り、豚肉が入り……昭和40年ごろになると、徐々に厚みを増していったお好み焼き。そのふっくらとしたお好み焼きの上にとどまるためには、とろみが必要だったのです。

「カープソース」に名称を変更し、登録商標を取得したのは昭和35年。「鯉城(りじょう)」と呼ばれた広島城に由来しています。滝を上り龍へと化す、縁起のよい鯉から付けました。昭和50年代に偶然同じ名前を付けた「広島東洋カープ」が好調となると、カープソースの知名度も上がっていきました。

原料と味にこだわるカープソースは、全国にその名を知られる業務店(お好み焼き店)から愛され、長く用いられています。旨みと酸味のバランスや香辛料の使用量など、業務店の意向を取り入れながらより美味しく進化させてきました。



創業当時の精神を今に伝える、こだわりの製造環境


やがて毛利醸造は規模や販路の拡大にともない、甲立町(現在の安芸高田市)を経て現在の三次市三原町へと移転しましたが、いずれも醸造に適した土地であることには変わりありません。醸造に用いているのは、地下から汲み上げる清らかな天然水。創業当時の品質への思いは、脈々と受け継がれています。

毛利醸造 受賞歴

千貫純米酢

   千貫純米酢 


昭和27年11月
広島県主催食糧品展示品評価

食酢界 第 1 位
県知事賞


 昭和29年11月~昭和33年
広島県主催食糧品展示品評価

最優秀・県知事賞
4年連続受賞


その他品評価会ある毎に 優秀賞多数受賞



   桜矢ソース


昭和33年11月
広島県主催食糧品展示品評価

広島県 第 1 位



   カープソース


平成5年3月
広島県主催食糧品品評会
「お好みソース」の部

広島県 第 1 位 知事賞

平成19年 
府中お好み焼き(府中焼)のソースに認定、B1グランプリ出場

平成25年 
三次唐麺焼・カープ辛口ソース使用認定

平成29年1月
三次市「みよしブランド」に認定



   ダイキンしょうゆ


平成16年3月 さいしこみしょうゆ特級

全国醤油工業協同組合連合会長賞  


毛利醸造の沿革

明治

◆ 明治2年6月
毛利弥助によって広島県比婆郡高見町で酒造鑑札を受け酒造業を創業

 明治30年
酒造りが3年続いて酢敗し、食酢造りを研究し成功する。
食酢の販売を開始する。

 明治33年
高田郡甲立町字甲立に工事移転する。


大正

 大正7年12月
酒もろみ製造鑑札をうける。

 大正15年6月
皇太子殿下行啓の砌り、台覧光栄を賜る。

昭和前期

昭和5年
ウスターソースの製造を始める。(商標サクラヤ) 

昭和5年11月
陸軍特別大演習の砌り、岡山大本営に於いて陛より天覧御買上の栄を賜る。

昭和6年7月
優良国産品として輸出品国産品判比展覧会に於いて、選定推奨される。

昭和3年頃 甲立酢工場出荷風景


 昭和7年6月

派遣軍御用として陸軍省より納入を命ぜられる。

 昭和27年11月
千貫純米酢、広島県主催食糧品展示品評価に於いて食酢界第1位県知事賞受領。

 昭和33年4月

毛利醸造株式会社を設立
資本金100万円。社長 毛利満治。

 昭和33年11月
千貫純米酢、広島県主催食糧品展示品評価に於いて連続4回本県最高の栄誉知事賞受領。
桜矢ソース、同じく本県第1位を受領する。

 昭和35年5月
カープソースの「カープ」食品31類で登録商標を取得する。

 昭和45年2月
高田郡甲立町字上甲立 毛利酢店と合併。

甲立工場 らっきょう酢の充填風景

三次工場

昭和後期~

 昭和52年1月

毛利宏成、社長に就任。毛利敬一郎、会長に就任。
増資150万円、資本金300万円

 昭和52年
増資300万円、資本金600万円

 昭和63年8月
増資400万円、資本金1000万円
工場建設用地購入。

現在

 平成2年12月
三次市三原町189に新工場落成。(新工場稼働開始)

 平成4年3月
高田郡甲立町字上甲立造酢工場閉鎖。
三次市三原町189に食酢工場完成

 平成5年3月
カープソース、広島県主催食糧品品評会「お好みソース」の部で本県1位知事賞受領する。
スクイズボトル販売開始.家庭向け商品販売本格化。

 平成19年

府中お好み焼き(府中焼)に使用するお好みソースはカープソースと認定される。
府中焼B1グランプリ出場する。
カープソース認定

 平成22年
広島支店・広島市中区舟入川口町6-19より、安芸郡海田町南堀川町7-23に移転

 平成25年
三次唐麺焼・カープ辛口ソース使用認定

旧本社所在地の現在の様子